Sunday, May 13, 2012
宣教師の時エノスのチャレンジをしました。モルモン章のエノス見たいに、一つの日をきめって、自然の芭蕉で長い祈りをしました。
モルモン章のエノスが祈った時に心に神様の答えが分かり安くに来ました。同じような経験が発表すると思ったのに、あんまり霊的な経験じゃなかった。
何でかな。。。と思いながら、普通ないちにちの生活に戻りました。
酷い、耐え忍ぶ経験がある時に、救いや導きのために祈る時に、ようく、返事が分からない。また、なんでかな?と考えます。
最近ようく読むのトピクは進行。私が行く協会や、ほこのキリスト教や仏教の人の本から祈り、信仰、人間関係のことを研究します。いろんな人は、天国が静かの経験をする。
いろんな理由はあります。たまに自分の気持ちがうるさいので神様の小さいな声が聞こえない。
たまにほこの人が変わってほしいです。でも神様が「神様が人を無理やりに天国に出しません」。その人は御霊からメッセジを受けっても、なにもしないように選びました。
たまに神様が、高い見方から、ほしい物が私たちに怪我をすることを分かるので、「だめ」と言う答えを上げます。
たまに私たちがもう答えを知ってる。自分の力で乗り越える。我慢ほんとうにできる。助けなしに成功ができる。この経験や質問によって、自分の例の来肉が強くなれる。だから、答えがこないと思っても、答えが前の経験から私たちにもう入りました。
気持ちのためにまだ返事がほしい。
でも、神様が私たちは強くなるためにそのいんしゅうに返事をしません。
その時、自分の心を研究するはずでしょう。
心のけんきゅう。
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